『クロースアップ現代』 “ほめる“

今日は昼から雨との予報。 『広告の品の最終日』だったので、午前中に行っておこうと出かけました。予想とは裏腹に空は晴れていて、予定していなかった買い物も済ますことが出来てご機嫌でした。家に帰ると主人が雨の準備をして万全の態勢。でも結果は、ほとんどの雨雲は南へそれたみたいで雨が降ったのはほんの数時間でした。

半日曇り空だったため、我が家のソーラー発電量 (発電量マイナス利用料) −5 (持ち出し)でした。

NHKの『クロースアップ現代』のトピックは『ほめる』でした。
日本の文化はいつからほめなくなったのでしょうか…。
わたしが小さい時の思い出は『常に姉との比較』だったように記憶しています。『お姉ちゃんは…』という言葉が多く記憶に残ります。わたしは『左利き』で『覚えが悪くて』(今思えばディスレキシアの要因もあったのでしょうけど…)、自分でも不甲斐ない気持ちだったことをおぼえています。
小学校2年生の時、九九が暗唱出来ずに本当にシンドイ思いをしました。先生は教室の端から順に九九の暗唱をさせました。『全部つっかえずに言えた生徒から着席』という方法で、つっかえると一週回ってくるまで立ち続け。頭の中で苦手な段(わたしの場合7と8の段)を繰り返し、繰り返し練習します。とうとう、わたしを含めて10人ほどの生徒が算数の時間内に暗唱しきれず『居残り』です。下校時間が過ぎ、先生が机に座りわたしたちは机の角に立って暗唱を繰り返します。『練習では言えるのに、先生の前に出ると緊張の為かつっかえる。』その繰り返しで、とうとうわたし一人になりました。休憩を取りながら『出きるまでやるぞ…』という先生の言葉に許してもらえそうにないことを知り、夕暮れが迫る校舎の窓の外を眺めながら、ひたすら練習をしました。先生の机の角の底に穴があいていて、その中にとがった金属の角があり、そこに指を押し当てて『集中力が途切れません様に!』と祈る思いで九九の暗唱を始めます。6の段まで順調に進み、7の段、でも、8の段はまた失敗。わたしの目に涙が貯まってきます。『やる気がない』『怠けているんだろう』『まじめにしなさい』『練習が足りないから』『みんな出来るのになぜあなただけ…』追い込まれて行きます。『わたしだって一生懸命やってる!』『練習では上手くいくのに』喉の奥に涙が落ち込んで言葉に詰まります。わたしの記憶では母が心配して学校まで迎えに来て『暗唱出来ないまま帰宅』しました。母が落ち込むわたしに言った言葉は『お姉ちゃんはすぐに暗唱出来たのにねぇ…』心ない言葉に、わたしは『算数が出来なくたって人間死なない!』って癇癪を起こしたのだと記憶しています。現在でも、数字は大の苦手、計算機の使い方も良く間違えて『計算違い』『桁違い』『数字の言い間違い』等で良く問題が発生します。
こんなこともありました。初めて習字を習う時、わたしは迷わず聞き手の『左手』で筆を持ち見本の通り字を書いていました。『お前はギッチョか!』と言われ左手に握った筆を右に持ち替えさせられて『書き直し』です。握力の弱い右手で書く習字は見れたものではありません『お前の字はミミズがコンガラガッテ窒息死しているようだ』と言われたのです。半紙の上に涙が大きな円を書いていました。ミミズが涙の海でこんどは『溺れて』いました。心ない『言葉』、わたしの生まれ持った『素敵なもの』が心の中で埋もれていく瞬間です。
しかし、『捨てる神あらば、拾う神あり。』ある人から『人と違ってもいいじゃないか、あなたがあなたらしくあることが大切なんだよ』『一つでいいから人よりすぐれている何かを見つけなさい。それに打ち込みなさい。』と教わりました。今でもその言葉はわたしの救いです。彼は何度となくわたしを救ってくれました。小学1年生の時、図画の時間に『花の絵』を書きました。わたしは『青』が好きだったので、青い花を画用紙いっぱいに書いていました。『お花は赤や黄色やオレンジよ!』『みんなそうしている』『青い花なんかありません』と先生がわたしの画用紙を取り上げて『書き直し』を命じました。あの時は花屋に連れて行ってくれて青い花を買ってくれました。わたしの記憶では、次の日先生の机の上に飾りました。(先生の反応などは全く記憶にないので、気分は晴れていたのだと思います。)
アメリカに来てESL(English As Second Language)の学校へ通いだした頃、政府が実施した『言語生活水準(だったと思います)』のテストがありました。『生活の基本的な活動を英語で出題していて、それに英文で答える』(信号が青の時に車が左折してきました、あなたはどうしますか?と言うような問題です。)
わたしは周りの生徒が鉛筆を走らせている音を聞きながら、答えを英文で表記することが出来ず、ジリジリしてきて下を向いたまま、真っ白な解答用紙を見つめていました。そのうちに『8年間も英語教育を受けて来たのに、何も役に立っていない。』『これからこの国で生活しようなどと、思いあがった考えだっただろうか…』などと、要らぬことを考え出したとたんに、またです。大粒の涙が解答用紙を水たまりにしたのでした。すると白髪の老眼鏡を鼻の先にちょこんと乗せた花柄のブラウスの先生がわたしの肩を抱いて『あなたは今この回答用紙に何も書けないけど、書けるようになるためにここに来ているの。』『大丈夫』『あなたは、わたしが知っている日本語の数よりずっと多くの英語を知っている。』『あなたは素敵な笑顔を持っているから、この国でもしっかり生きていけるわよ!』
言葉って、本当に優しいですよね!(思い出すと今でも目が潤みます。マーサ先生に感謝!)
アメリカ人はほめ上手だと言います。それは本当!特に西海岸は移民だらけなので、お互いの欠けているところを許す文化があるんです。片言の英語でも通じてくれちゃうし、努力している人のことは『Good Job!』を連発するし。これは日本も同じで『外国人』には寛大です。でも『内には厳しい。』『日本人のくせに』『女性のくせに』『若者のくせに』『従業員のくせに』…『出来て当たり前』『出来ないのは気合いが足りないから』『結果が何より大事』。わたしが生まれる前から日本の文化ってこうだったのかしら? それとも戦後の高度経済成長の副作用? 
番組の中で『春風亭小朝さん』が言っていました。ただ、褒めるのではなくて『見ているよ』というメッセージ、その気にさせる、相手を安心させてあげられるメッセージこそ効果的な褒め言葉!褒め上手になるには相手を良く見ること。と言っていました。褒めてほしければ自分から褒めろ!がってん!がってん!
本当にそうですよね!考え方を変えなくちゃ!
アメリカの自己啓発の指導者『ジョン・マックスウェル氏』は『Change is Good、You go First!』と言っています。『チェンジ!』という言葉が流行った去年。政治が、国が、世界が変われば上手くいく!と思っているあなた、まずは『あなたから…』
わたしも今年は『何を』チェンジしようかしら…もっと人を見ること…それを口に出して言う行動…

わたしはあなたをいつも見守っていたいです!

LA時間 01:30AM