テンサイは忘れたころにやってくる

今日のLAはマスマス雨の気配です。この雨で満開の白梅の花も落ちてしまうと思います。その代わり『ネクタリン』のつぼみが膨らんできました。『桃の花』に似たピンク色の花です。

我が家のソーラー発電量は(発電量マイナス利用料) +1(貯金)でした。
明後日辺りから雨なので、今までの(貯金)を使うことになります。

国際衛星テレビで『阪神淡路大震災』関連の番組をいくつか見ました。

皆さんの中で、テンサイに奪われたものがあるという方…心中お察し申し上げます。
実は、わたしは、その1年前にノースリッジ大震災をLAで体験しました。この時も夜明け前。眠りの浅いわたしは記憶にはっきりあるのが遠くから近寄って来る『地鳴り』そしてドスンという音ともにガラスが『バリバリバリ』とものすごい音を立てて鳴った。台所からものが落ちる音。 数分後から永遠に続くとも思えた余震の中、懐中電灯を探し『靴をはく』飼い犬は怯えてシッポは股の間に入ったまま。ラジオを付けて地震速報を聞きながら夜明けを待った。わたしがいたのは震源地から車で10分ほどのところ。わたしの母は5分以内のところに住んでいた。もちろん、電話は通じない。安否を気遣っている中、夜明けがすごく長く感じたのをおぼえている。
隣人がキャンピングカーの発電機を作動させてテレビを見せてくれた。母のところは被害区域に含まれていない。夜が明けてすぐ車で向かう。行く先々、崩れたブロック塀。根こそぎ倒れている大木。崩壊した地域を通り抜けられず、遠回りして母のもとへ急いだ。途中、全壊したアパートに車の列が押しつぶされている。着替える服も持ち出せず、寒空にパジャマ姿の住民が唖然と建物を眺めている。コミュニティーの共有プールの水は半分に減っていた。揺れで民家に向けて『流れ出した』らしい。
ここでもブロック塀の崩れや倒木が見られた、が、母はケガもなく無事だった。電気、ガス、水道、全てがストップしていて、生活出来る状況ではない。キッチンの冷蔵庫は元の場所の反対側の壁に逆向きに立っていた。『歩いた』のである、コンセントは外れ、ドアはあかない。棚の中身はほぼ全部床の上。母の宝物の大びんの蜂蜜も…瓶は粉々、街中から集まったのか!っと言うほどのアリが蜂蜜に集まっていた…
コミュニティーの計らいでプールの水をくみ出して掃除や、トイレの流し水に使えると連絡を受け、さっそく掃除!でも、余震は続くのでそのたびに天井からパラパラと建材の粉が落ちてくる。
その後、このコミュニティーは自治体の検査を受けて『異常なし』の『緑ラベル』を貼って貰ったのだが、ガス、水道の復旧が遅れ、2週間わたしと同居する羽目に…ちなみにわたしのところは水と防災グッツの備蓄があり、キャンプ用のプロパンストーブで煮炊きをして、難をしのぎました。
復興に関して言えば、わたしが通勤に使用していた高速道路の橋脚が崩壊してしまったので、震災前30分で通えた職場に3倍の時間がかかるようになったこと…その間、橋脚が取り壊され、元に戻っていく状況を見ながらある日『開通』され、そのころには街全体がもとに戻っていた…ただ、心に残る傷と家の壁に刻まれた亀裂はなかなか修復が難しいのが現実。 壁の亀裂は家が歪んでいるからなのでしょうが…心の在り方もその歪みを直すのが難しいということなのでしょうね… でも、この亀裂が『テンサイの存在を忘れない』おまじないなのかも…
今の家も震災後に購入したので、あちこちに亀裂があり、そのおまじないは健在。北村家の食糧倉庫には常に10日分以上の水と食料(乾物)そして、キャンプ用コンロなどが蓄えられている。 あとは、太陽光が災害時に使用出来ればなぁ〜。 
先日のハイチの地震といい、世界中で『地球が動いている』証拠が顕著に表れています。常に『明日はわが身』という心構えが肝要ですよね!
皆さんも是非、備蓄品と、心構え、点検してみませんか?

LA時間 11:30PM